自分ではそうだと全く意識していませんでした。
でも子育てをしている中、よく自分の心の中を見てみると、そのようなことがあると気づく時がありました。
今でも手放しで、私は「無条件の愛」で子どもと接しています、とは言えないと思います。
そうなるように努力をしています、またはそうなる最中、というのが正確な表現だと思っています。
「条件付きの愛」って、至るところにあります。
おもらしする子は嫌、しない子は好き。
おむつが早く取れる子が好き、遅い子は嫌。
言葉が早く喋れる子はいい、遅い子はだめ。
足が速い子はいい子、遅い子はだめな子。
成績の良い子はいい子、できない子はだめな子。
親として、子どもへのジャッジは果てしなく続きます。
生まれた時の、感動。
ただ子どもが生きているだけで幸せだった時の感覚。
その感覚を日々の日常で思い出すための工夫をいくつかしていますが、
(生まれたばかりの写真を飾る、「生きているだけでありがとう」等言葉に出して日々伝えるなど)
それでも、何かうまくいかないときは、子どもへのジャッジの目が無意識に入ってきます。
子育ての問題は、子どものできない具合ではなく、親の見方・視点の問題だと思っています。
人は、生まれながらにして完全な存在。
答えは本人の中にあり、問題解決の能力を必ず持っている。
この考えをコーチングで学びました。
親がどうこうするのではなく、(ちょっとしたアドバイスはするかもしれませんが)
子どもが自分で気づき、立ち直り、再び歩いていく姿を温かく見守りそっと応援する。
そんな親でいつでもありたいと願っています。
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