わたしの子育ての失敗談をお話ししようと思います。
一番の失敗は、「理想があった。しかも高かった!」ことです。
私は、支配的な父親との関係があまり良くなく、「自分が子育てをするときはこうしよう」とか「絶対父親みたいにならない」とかいろいろと若い時から考えていました。
でも一方で、「自分も父親みたいになってしまうかも」と、どこか育児に対して自信がなく、
その克服のために(女性が長く働ける環境ということでも)保育士を、大学を出た後に目指しました。
しばらく公立の保育士として働き、多くの子ども達と接してこう思っていました。
「こんなに大勢の子ども達をクラス内で1度に見ているのだから、家庭内で1対1〜2の子育ては、とっても心地良くて楽だろうな〜」と。
しかし!
子育ては、仕事としてすることと家庭内ですることとは、全く別な感じでした。
仕事は、最初と最後という時間が決まっており、他の職員の方も数人いて、さらに報酬もいただけますが、
家庭、特に核家族の場合は、24時間365日の無報酬労働。
大人としての会話もできない、孤独な毎日。
夫も若い時は、ちょうど仕事が大変な時期。
そうそうゆっくり話を聞いてくれない。
仕事と家庭での「育児」の環境が全く異なり、家庭内育児をなめていた、と痛感しました。
さらに、保育士や教師、看護師の方に多いのですが、
育児に関しての専門職の方は、「育児の理想」が明確にあり、それを家庭の子育てにも適応しようとします。
そうすると上手くいかなくなるのです。
仕事での育児の知識や経験がある方ほど、育児の理想を求めて上手くいかなくなる。
それはなぜか。
「ありのままの(現実の)我が子」を受け入れられなくなるからです。
私がまさにそうでした。だから、ありのままの我が子と楽しく毎日を過ごす、というのは、そのカラクリを理解して、自分の理想を解いてからのことでした。
それまでの、長女の最初の頃の育児は、自分の理想の育児をしよう、と毎日が必死でした。
そうすると、私も大変、子どもも大変で、家庭内がギスギスしていました。
特に長女はアトピーもあったので、「これではいけない!私がなんとか治そう!」と力が入り、とても大変でした。
今の自分から、かつての自分には、「大丈夫だよ。アトピーは腸が発達してくれば、自然と良くなってくるから。そんなに頑張らなくても大丈夫。毎日を大切に過ごしてね。」と伝えたいのですが・・・
実際、この言葉を当時の私が聞いても、「何のんきなことを言って!」と聞く耳を持たなかったでしょう。
簡単に理想は手放せない。
よほどネガティブなことが起こらない限り、大人は、自分のやり方は変えられないのかな、と思います。
ですから、ネガティブなことも、「このやり方だと上手くいきませんよ」との大切なお知らせだと段々と分かってきました。
私が理想を手放したきっかけは、「長女が通っていた、モンテッソーリの園長先生に『あなたは真面目すぎて視野が狭いのよ!』ときつく叱られたこと」「長女が小1の時に登校渋りになったこと」でした。
〜続きはまたの機会に〜
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